
今日は少し寒さも緩みいい天気でしたが、山沿いには怪しげな雲、雪が降っているに違いないですね。久々に広い公園をてくてく歩きたい気分になったのでマルコを連れて浜まで車で出かけました。
私はいわゆる「お散歩時間」を極力さけて出かけます。他の犬との接触は大人になったマルコにはあまり必要ないと思っています。それよりも周りを気にせず思い切り遊んだり、やるべき事をしたいのです。
私が今マルコに求めることは「何よりも飼い主を選ぶ犬」になることです。犬種的に独立心が旺盛であったり、サークルが広い(人と犬との距離)ことに加え、他の犬がいるととりあえず近づこうとすること、一点集中型で猪突猛進(飼い主も同じなのですが 苦笑)で周りが見えなくなるところ、などなどを修正したいのです。アジリティーが板についてきたあたりから私に対する期待感がグッと増し、他の犬と遊ぶよりも私と遊ぶことを選び出したのは大きな収穫でした。匂いを嗅いでいるとみるみる飼い主から離れてしまうことも、色々な試みにより徐々になくなってきました。
試みの最後の詰めとして「犬が不安になる状況でノーリードにする」ことを何度か繰り返しました。車や自転車などの往来のない河川敷にあえて日暮れ時に行ってリードから放します。薄暗くなり、私と他人の区別がつかなくなると自然にサークルは小さくなり、離れてもわたしの存在を確認する頻度がかなり上がりました。以前は私を見失うやいなや一目散に逆走していたのですが、今は少し探しては立ち止まり、またもどっては立ち止まりと、見失った場所から離れなくなりました。これもまたマルコにしてはかなりの成長なのです。間違って近づいた人が犬連れであっても間違いに気づくとすぐに帰ってくるようになりました。以前のマルコは向こう見ずの無鉄砲、そんなマルコに自分がやりたいことを安心して出来るのは全て「飼い主ありき」の上に成り立つことをはっきりさせてやりたかったのです。
意味のない「ノーリード」や飼い主が楽をするための「ノーリード」は私はあまり好きではありません。そういう扱いをすると何も考えない、自分の楽しみを優先する犬になってしまうからです。
逆に目的のある「ノーリード」はわたしは「アリ」だと思います。自分と犬との関係作りの最後の詰めと言っても過言ではないでしょう。もちろんそこに至るまでの努力は必要不可欠ですが、その最終テスト最後の仕上げが「ノーリード」だと思います。リードから放される=自由!イェイ!ではダメ。リードから放される=「ここは安全?」「今日はここで何をする?」「匂いを嗅いできてもいい?」「側にいてね」くらいになると理想的ですね。こんな関係を築くため、犬に何かを教えるためにリードを放すのなら悪いことではないと思います。もちろん放すからには他人に迷惑をかけない事、何か起こったとき(勝手に犬を追いかけて行きそうになった等)にはなんらかの対処ができる準備が出来ている事、常に自分の犬やその周りのことに気を配っている事が前提です。何かを教えるために放しているわけですから。
「犬の運動の為」とか「遊ばせたい」とか飼い主の怠惰でノーリードにするのではなく、「自分と犬の時間」として積極的に犬と関わる時間を持つことがもっと世間一般に浸透しなくてはならないな、と思う今日この頃です。せっかく犬のいる生活をしているのですから、羊を飼うような飼い方ではもったいないと思うのです。
(hu)
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