私がはじめてアジリティーを知る機会となった時のはなし。
ある日、普段あまり指導を受ける機会のなかった方から教えて頂けるという幸運がありました。その内容は人間だけアジリティーコートに入り、二人一組になって交互に人役、犬役を演じるというものでした。人役は先にコートに入りコースを見聞。その後目隠しをした犬役の手を引いてコースを完走、タイムを競います。私は最初に犬役だったので、要領もわからないままコースに入り目隠しをされ、人役のコマンドと手の補助のみでヨロヨロ歩かなければなりませんでした。目隠しされた上、連れ回されるのですからこわいったらありゃしない。人役のひとも曲がりくねったコースを、曲がる前に立ち止まったり、角度をコマンドで表現しながら連れて行かなくてはならず、しかも犬役の人が予想以上に曲がったり、止まったりするので大変だったと思います。
ペアによってまた個人個人、丁寧だったりゆっくり過ぎたり雑だったり。それぞれ役割を交代し、どちらの気持ちも経験しました。そして最後に指導者の一言。
「犬は目が見えないわけではないけれど、今日あなた達が感じたようにいつもコース上でどっちに行くのか分からないと不安に思いながら走っていることを覚えておきなさい」
犬役をして私が感じたことは「もうすこし早めにコマンドを言ってくれたらそのつもりをしておくのに」とか「そのコマンドほんまにあってる!?」「もっとしっかりリードして欲しい!」です。そして私が感じたことはそっくりそのまま犬の気持ちだというのです。感動しました「そうかーなるほど!」と。
この話をもとに私なりにアジリティーを車の運転に例えると、犬がドライバー、人が助手席のナビ役です。二人で土地勘の無いところへ出かけたとき、ナビのない車なら(今時少ないでしょうけど)助手席の人(下調べ済)は地図を見てドライバーを助けますよね、あれと同じ感覚です。「あ!この信号右!」「多分この道であってると思う」とかナビの指示がいつも急だったり曖昧だったりするとドライバーはイライラします。そしてそのうち「もういい!地図貸して!自力で行く!」ってなります。逆に「次の交差点右折だからそろそろ右車線に移っておいて」とか「もう少しいったら高架をくぐると思う、それをすぎたら左折と思うけど自信ないからゆっくり走って」とかこんな風にいつも分かり易い情報を前もって出してくれるとドライバーはストレスを感じる事無く目的地に到着することができます。
この例はアジリティーに限らず、犬と生活する上でのやりとりにも同じ事が言えます。目隠しをされ連れ回される不安は、親元を離れ見知らぬ人間と未知の生活を始めた犬の気持ち。経験のないことをある日突然やることになり、要領もわからず、うまくいかない不安や反応に戸惑う気持ちは、始めて犬を飼う人あるいは飼ったことのない犬種を迎えた飼い主の気持ちと同じです。こうやって身近なことに置き換えて考えると、こじれる理由も納得できるし、最初は犬に悪気がないこともわかります。そしてコース上での犬の気持ち・・・泣けるじゃあないですか!そういうけなげな犬の状態を保つためにも導く人は賢くならねばいけないということです。まぁアジリティーは人も動かなくてはならないので、こんな簡単にはなかなかいかないのですが、こういう考え方もあるということを心に留めておいていただければ幸いです。そしてどこかで実際に大会を見る機会があったときに思い出してみてください。きっと違った見方ができるはずです。
(hu)
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ある日、普段あまり指導を受ける機会のなかった方から教えて頂けるという幸運がありました。その内容は人間だけアジリティーコートに入り、二人一組になって交互に人役、犬役を演じるというものでした。人役は先にコートに入りコースを見聞。その後目隠しをした犬役の手を引いてコースを完走、タイムを競います。私は最初に犬役だったので、要領もわからないままコースに入り目隠しをされ、人役のコマンドと手の補助のみでヨロヨロ歩かなければなりませんでした。目隠しされた上、連れ回されるのですからこわいったらありゃしない。人役のひとも曲がりくねったコースを、曲がる前に立ち止まったり、角度をコマンドで表現しながら連れて行かなくてはならず、しかも犬役の人が予想以上に曲がったり、止まったりするので大変だったと思います。
ペアによってまた個人個人、丁寧だったりゆっくり過ぎたり雑だったり。それぞれ役割を交代し、どちらの気持ちも経験しました。そして最後に指導者の一言。
「犬は目が見えないわけではないけれど、今日あなた達が感じたようにいつもコース上でどっちに行くのか分からないと不安に思いながら走っていることを覚えておきなさい」
犬役をして私が感じたことは「もうすこし早めにコマンドを言ってくれたらそのつもりをしておくのに」とか「そのコマンドほんまにあってる!?」「もっとしっかりリードして欲しい!」です。そして私が感じたことはそっくりそのまま犬の気持ちだというのです。感動しました「そうかーなるほど!」と。
この話をもとに私なりにアジリティーを車の運転に例えると、犬がドライバー、人が助手席のナビ役です。二人で土地勘の無いところへ出かけたとき、ナビのない車なら(今時少ないでしょうけど)助手席の人(下調べ済)は地図を見てドライバーを助けますよね、あれと同じ感覚です。「あ!この信号右!」「多分この道であってると思う」とかナビの指示がいつも急だったり曖昧だったりするとドライバーはイライラします。そしてそのうち「もういい!地図貸して!自力で行く!」ってなります。逆に「次の交差点右折だからそろそろ右車線に移っておいて」とか「もう少しいったら高架をくぐると思う、それをすぎたら左折と思うけど自信ないからゆっくり走って」とかこんな風にいつも分かり易い情報を前もって出してくれるとドライバーはストレスを感じる事無く目的地に到着することができます。
この例はアジリティーに限らず、犬と生活する上でのやりとりにも同じ事が言えます。目隠しをされ連れ回される不安は、親元を離れ見知らぬ人間と未知の生活を始めた犬の気持ち。経験のないことをある日突然やることになり、要領もわからず、うまくいかない不安や反応に戸惑う気持ちは、始めて犬を飼う人あるいは飼ったことのない犬種を迎えた飼い主の気持ちと同じです。こうやって身近なことに置き換えて考えると、こじれる理由も納得できるし、最初は犬に悪気がないこともわかります。そしてコース上での犬の気持ち・・・泣けるじゃあないですか!そういうけなげな犬の状態を保つためにも導く人は賢くならねばいけないということです。まぁアジリティーは人も動かなくてはならないので、こんな簡単にはなかなかいかないのですが、こういう考え方もあるということを心に留めておいていただければ幸いです。そしてどこかで実際に大会を見る機会があったときに思い出してみてください。きっと違った見方ができるはずです。
(hu)
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