褒めたり、叱ったりするタイミングって
感覚で出来てしまう人はよいのですが
理屈から入らなくては理解できない人にとっては一苦労です。
で、何て説明するのが分かり易いだろう・・・
と考えあぐねて思いつきました。
球技で言う「ミート」
肉ではありません、打点?でしょうか?
卓球でもテニスでも野球でもバレーボールでも
ボールを打つ瞬間というのは
その打点が一番良い状態に来たときに
ラケットを思い切りフリ抜くわけで
そうすると力ののった玉が
自分の狙ったところへ飛んでいくわけです。
しかし、その打点が少しでも狂えば
自分の思い描いたところには飛んでいかなかったり
球威が今一だったりします。
褒めたり叱ったりするタイミングも
こういう理屈と似ている気がします。
タイミングがバッチリあえば
こちらが伝えたい内容がバッチリ相手に伝わり
相手も分かり易いのですが
タイミングがずれていると
何を言われたのかよくわからなかったり
なんとなく察しがついたとしても
威力が無いため「聞こえないフリ」をさせてしまえる
隙を与えることになったりします。
で、ここからが私が書きたい本題です。
「私は感覚がないからうまくいかない」
「感覚のあるひとはいいよね」(=プロだからできるんでしょ)
なんて言ってしまってはいけないのです。
スポーツだって「練習のたまもの」ですもの。
感覚が無くても練習でカバーできるのです。
感覚がないから感覚でやってしまう人がおろそかにしがちな
理屈を必死で勉強し、観察して少しでも上手くなろうと努力する。
そこに「なんとかしたい!」と思う熱意があれば最高。
しょっぱなから上手くできなくて当たり前。
練習し努力すればうまくなる。
うまくなれば心にゆとりが出来て
今まで見えなかったことも見えてくる。
ボール拾いをやり、素振りを死ぬほどやって、
やっと実際にボールを打たせてもらえて・・・
そうそう、そんなもんですわ。
ああ、なつかしい中学のクラブ活動・・・。
(hu)
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感覚で出来てしまう人はよいのですが
理屈から入らなくては理解できない人にとっては一苦労です。
で、何て説明するのが分かり易いだろう・・・
と考えあぐねて思いつきました。
球技で言う「ミート」
肉ではありません、打点?でしょうか?
卓球でもテニスでも野球でもバレーボールでも
ボールを打つ瞬間というのは
その打点が一番良い状態に来たときに
ラケットを思い切りフリ抜くわけで
そうすると力ののった玉が
自分の狙ったところへ飛んでいくわけです。
しかし、その打点が少しでも狂えば
自分の思い描いたところには飛んでいかなかったり
球威が今一だったりします。
褒めたり叱ったりするタイミングも
こういう理屈と似ている気がします。
タイミングがバッチリあえば
こちらが伝えたい内容がバッチリ相手に伝わり
相手も分かり易いのですが
タイミングがずれていると
何を言われたのかよくわからなかったり
なんとなく察しがついたとしても
威力が無いため「聞こえないフリ」をさせてしまえる
隙を与えることになったりします。
で、ここからが私が書きたい本題です。
「私は感覚がないからうまくいかない」
「感覚のあるひとはいいよね」(=プロだからできるんでしょ)
なんて言ってしまってはいけないのです。
スポーツだって「練習のたまもの」ですもの。
感覚が無くても練習でカバーできるのです。
感覚がないから感覚でやってしまう人がおろそかにしがちな
理屈を必死で勉強し、観察して少しでも上手くなろうと努力する。
そこに「なんとかしたい!」と思う熱意があれば最高。
しょっぱなから上手くできなくて当たり前。
練習し努力すればうまくなる。
うまくなれば心にゆとりが出来て
今まで見えなかったことも見えてくる。
ボール拾いをやり、素振りを死ぬほどやって、
やっと実際にボールを打たせてもらえて・・・
そうそう、そんなもんですわ。
ああ、なつかしい中学のクラブ活動・・・。
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