得な事、得な場所 → いい事、いい場所 と教えるのと
安心できる事、安心できる場所 → いい事、いい場所 と教えるのと
どちらの導き方によって結ばれた絆のほうが強いか、、、
得な場所、得な事、という教え方は
前々から書いているようにきっかけとしては良いと思います。
なぜ、きっかけ以降にこの方法を継続することに
私が違和感を感じるのかというと
「結局、どうするかは犬が決める」といった点だと思います。
最終的に主導権、決定権が犬になってしまう可能性を含ませている。
得と思えばするし、思わなければしない。
そう行動する権限を犬に許してしまっている感じがします。
得と思うことがあればするけどないときはしないと考える
ずる賢さを教えてしまうというか、、、
犬と築く関係が損得勘定の上成り立つものでよいという人は
それでよいと思うのですが
そんなやりとり抜きの関係を私は犬に望んでいるので
やはり良し悪しは教えないといけないのではないだろうか
という結論にいつも至るのであります。
(hu)
安心できる事、安心できる場所 → いい事、いい場所 と教えるのと
どちらの導き方によって結ばれた絆のほうが強いか、、、
得な場所、得な事、という教え方は
前々から書いているようにきっかけとしては良いと思います。
なぜ、きっかけ以降にこの方法を継続することに
私が違和感を感じるのかというと
「結局、どうするかは犬が決める」といった点だと思います。
最終的に主導権、決定権が犬になってしまう可能性を含ませている。
得と思えばするし、思わなければしない。
そう行動する権限を犬に許してしまっている感じがします。
得と思うことがあればするけどないときはしないと考える
ずる賢さを教えてしまうというか、、、
犬と築く関係が損得勘定の上成り立つものでよいという人は
それでよいと思うのですが
そんなやりとり抜きの関係を私は犬に望んでいるので
やはり良し悪しは教えないといけないのではないだろうか
という結論にいつも至るのであります。
(hu)