今日の皆既日食、曇り空のお陰で
直接空を見上げて観察することができましたね。
たまたま見上げた空に、日食を見ることができて
なんだか得した気分。
* * * * * * *
先月くらいまで、忙しさを理由に
我が家の犬たちとのコミュニケーションがおろそかになっていました。
それが先月中旬くらいから、すこし余裕が出来ました。
毎日、就寝前に短くてもよいから時間を作ろう、
そう自分に課しました。
イオタとまじめに付き合うようになって
彼女の「覚え方の傾向」をあらためて認識することになりました。
イオタはどちらかというと理屈から入るタイプです。
何を求められているのか、分かりやすく伝えれば
かなりの確立でこちらの伝えた行動をとることができます。
こちらが伝えた行動を何度かくりかえし、
そのあと数回違った行動をとってみて
それではダメなんだということを確認します。
人の思考とよく似たところは
こちらもとても扱いやすいです。
が、感覚的に覚えてほしいことも理屈から入ろうとするので
それをどうしてやればよいか、今考えています。
例えば、アジリティー。
タイヤというものは宙に浮かんだ丸い物の真ん中を
跳ばなくてはならないんだ、と覚えました。
数回、違う場所を抜けてみて
それではこちらが遊びに乗らないのを確認し、
丸の真ん中を狙う事を覚えました。
これはまぁさほど難しいことでもなかったので意欲的にこなしましたが
あくまで狭い、丸の真ん中を狙う事に「興奮」はしませんでした。
つぎにスラロームに取り掛かりました。
このとき、最初は何がなんだかわからぬまま
オヤツを追いかけて走り抜けていましたが
何度目かの練習のときから
彼女は頭で考えるようになりました。
「1本ずつ左右交互に行かなくてはならないんだ」
こうなってから、正確性は増しましたが
スピードがひどくおちました。
私としては、とにかく体の使い方を
感覚的に覚えてくれればよい、と思っていました。
そしてその動き自体を楽しんでほしかった。
それが結局理屈で先に覚えてしまったのです。
私は焦りました。
マルコはまったく正反対でした。
最近でこそ理屈で考えるようになりましたが
彼の場合、こちらが教える事のほぼすべてを
感覚的に覚えていきました。
だから「スピード」をわざわざ求める必要はありませんでした。
イオタ、、、
覚えてしまったものは仕方ない。
覚えてくれた事はよしとして
そこからスピードアップすることを考えよう
そう思うことにしました。
出来るだけ失敗しないよう、意欲的にこなせるよう
普段、関わる時間の内容まで考えながら
イオタがスラロームを義務でこなさぬよう、工夫しました。
まだ客観的に見てもらっていないのでなんともいえませんが
少しは意欲的になってきた今日この頃です。
私自身、理屈を考えるのは好きですが
いざ行動をするとなると感覚に頼るタイプです。
教えるときも感覚的に教える方が楽だと感じています。
理屈で覚えたあとに、そこから意欲的に成長させることができるのか
先が見えにくいことが不安です。
とにもかくにも、
「何かができるようになること」を求めるのではなく
「何をしても集中して楽しむこと」を追求しよう。
イオタともマルコとも。

(hu)
直接空を見上げて観察することができましたね。
たまたま見上げた空に、日食を見ることができて
なんだか得した気分。
* * * * * * *
先月くらいまで、忙しさを理由に
我が家の犬たちとのコミュニケーションがおろそかになっていました。
それが先月中旬くらいから、すこし余裕が出来ました。
毎日、就寝前に短くてもよいから時間を作ろう、
そう自分に課しました。
イオタとまじめに付き合うようになって
彼女の「覚え方の傾向」をあらためて認識することになりました。
イオタはどちらかというと理屈から入るタイプです。
何を求められているのか、分かりやすく伝えれば
かなりの確立でこちらの伝えた行動をとることができます。
こちらが伝えた行動を何度かくりかえし、
そのあと数回違った行動をとってみて
それではダメなんだということを確認します。
人の思考とよく似たところは
こちらもとても扱いやすいです。
が、感覚的に覚えてほしいことも理屈から入ろうとするので
それをどうしてやればよいか、今考えています。
例えば、アジリティー。
タイヤというものは宙に浮かんだ丸い物の真ん中を
跳ばなくてはならないんだ、と覚えました。
数回、違う場所を抜けてみて
それではこちらが遊びに乗らないのを確認し、
丸の真ん中を狙う事を覚えました。
これはまぁさほど難しいことでもなかったので意欲的にこなしましたが
あくまで狭い、丸の真ん中を狙う事に「興奮」はしませんでした。
つぎにスラロームに取り掛かりました。
このとき、最初は何がなんだかわからぬまま
オヤツを追いかけて走り抜けていましたが
何度目かの練習のときから
彼女は頭で考えるようになりました。
「1本ずつ左右交互に行かなくてはならないんだ」
こうなってから、正確性は増しましたが
スピードがひどくおちました。
私としては、とにかく体の使い方を
感覚的に覚えてくれればよい、と思っていました。
そしてその動き自体を楽しんでほしかった。
それが結局理屈で先に覚えてしまったのです。
私は焦りました。
マルコはまったく正反対でした。
最近でこそ理屈で考えるようになりましたが
彼の場合、こちらが教える事のほぼすべてを
感覚的に覚えていきました。
だから「スピード」をわざわざ求める必要はありませんでした。
イオタ、、、
覚えてしまったものは仕方ない。
覚えてくれた事はよしとして
そこからスピードアップすることを考えよう
そう思うことにしました。
出来るだけ失敗しないよう、意欲的にこなせるよう
普段、関わる時間の内容まで考えながら
イオタがスラロームを義務でこなさぬよう、工夫しました。
まだ客観的に見てもらっていないのでなんともいえませんが
少しは意欲的になってきた今日この頃です。
私自身、理屈を考えるのは好きですが
いざ行動をするとなると感覚に頼るタイプです。
教えるときも感覚的に教える方が楽だと感じています。
理屈で覚えたあとに、そこから意欲的に成長させることができるのか
先が見えにくいことが不安です。
とにもかくにも、
「何かができるようになること」を求めるのではなく
「何をしても集中して楽しむこと」を追求しよう。
イオタともマルコとも。

(hu)
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