気持ちの逃げ場としてとる行動がその犬の性質だとすると
それを生かして作業をさせることがはたして良い事なのか、悪い事なのか?
前文にこう書いた事をぴーなつさんに聞いてみました。
すると彼女は的確にアドバイスしてくれた。
そもそも性質、性能を「良い事、悪い事」と振り分けるのは
不自然ではないかと。
プラスパワーはマイナスパワーと対になっている。
だからどちらの面に光を当てることができるかを考えた方がよいのでは?
そうなのだ、前からこういう話、よくしてたのに
ぴーなつさんに言われるまで思い出せなかった。
そもそもなぜこういう事を書いたかというと
犬は犬種によって色々な作業目的にそってブリードされ
その作業をこなすのにふさわしい性質の部分を伸ばされ(残され?)、
今日にある。
うちのマルコはワイヤーフォックステリア。
名前の通りキツネの狩につかわれた猟犬。
だから走り去る猫でも見つけようものなら「追いかけたい!」という
衝動に駆られやすいところが強いと思うし、
若かりし頃のマルコは怖いもの知らず、
というか不安や緊張が高ければ高いほど
興奮し、飼い主から離れていく傾向が強かった。
最近、我が家にやってきたベルジアンシェパード・タービュレンのイオタは
不安、緊張が高ければ高いほど口を使いたがる。
知らない環境に連れていくとズボンをつまもうとつんつんしてくるし、
500mlのぺっとボトルが落ちていようものなら、これ幸いとくわえ込み
ずーっと奥歯でしっかり保持しながら歩く。
そうしているととてもよい子だったりする。
マルコの場合は不安や緊張が高まると
飼い主から遠くはなれることが気にならなくなり、
イオタの場合は不安や緊張が高まれば高まるほど
口で噛みしめたい気持ちが強くなり、
ターゲットが与えられると奥歯でしっかりくわえ込む。
不安を感じる物や状況にでくわすと、グーッと狙い、
突っ込んでいこうとする。
これは
「その作業をこなすのにふさわしい性質の部分を伸ばされ」
にあたるのではなかろうか?
フォックステリアは猟犬で、オーナーから遠く離れられなければ仕事にならない。
不安であっても遠くに離れ、逃げる獲物を追い、捕らえ、仕留める。
シェパードは羊を狼から守るなどの働きをするために作られた犬。
不安であってもオーナーから離れ、外敵をしとめなければならないし
不安を感じる物に、物怖じせず襲い掛からなくてはならない。
で、この「不安であっても」ってところが今回わたしが着目した点になる。
「不安であっても」ではなく「不安であるから」なのではないかと。
性質とは「不安」や「緊張」下にあるときに
その固体がとる行動、思考のことなのではないか。
緊張が高くなったとき、冷静でないときに出やすい癖=性質
この癖を利用し、作業につかう。
緊張が高いほどよいパフォーマンスをする。
そうでなければ仕事にならない。
不安や緊張が高まると、地面のニオイばかり嗅ぎだす犬。
物をくわえたまま、なかなか離さない犬。
動くものとなるととにかく追いかけ、回り込もうとする犬、
あるいはその物事態をパチパチ口でつまみにいく犬。
屋外に出るとわき目も降らずーっと前のめりで
地面の匂いばかり嗅ぎながら歩く犬。
散歩中、道に落ちているものを片っ端から口に入れる犬。
いわゆる犬の問題行動としてとりあげられる行動。
でもこれは作業をさせるのであれば都合がことでもある。
そしてこれはその固体が素の状態(野生=人との関係が希薄)に近いほど
こういう行動をとりやすいはず。
わたしが今仕事としてやっていることはというと
まずはいつも冷静でいられる状態にすること。
不安でなく、緊張せず、興奮もせず、状況を冷静に、
客観的にとらえることができるようになること。
心のより所があれば、不安な状況になっても、頼り、集中し、冷静でいられる。
より所とはすなわち「飼い主」。
飼い主が頼るべき、集中すべき相手になり、
コミュニケーションがうまくとれるようになれば
犬の不安はなくなり、野生は消えていく。
問題行動は無くなっていく、と思っている。
でもこれはあくまでベース(基本)にすぎない。
わたしは人の指示によって性質を生かすことはアリなんじゃないかと感じていた。
不安・緊張・興奮⇔冷静
と書くとなんだかネガティブな様に見えるが
ポジティブに考えればこれらは長所になる。
いざって時にこれだけは自信持って出来ること、なのだから。
自信をつける、という部分では欠かせないことになっていくように思うんだ。
それでそれで、、、
はなしをぐぐぐーっと元にもどして
感じていたんだけれど、、、ここへきて、本当にアリなんだろうか??
と思う事がいろいろあって、それで自問自答してみたのであります。
(「いろいろ」についてはまた後日べつの記事で書きたいと思っている。)
で、ぴーなつさんの助言を聞いて、
わたしの至った結論。
人によって与えられた指示を聞いてとった行動なら
それが例えその犬が逃げ込みやすい傾向の行動だったとしても
アリなんじゃないか。
一人よがりに、その世界に没頭するのではなく
人によって導かれて、たまたま自分がとりやすい行動だっただけ、
という風になるなら、ありなんじゃないかな。
犬の頭の最優先事項に飼い主が君臨していて
そのひとの言う事ならなんだってする!という状態、
こうなることがすべてなのではないかな。
こうなっていれば、その犬にとって苦手(緊張下ではやり難い)な事も、
得意(緊張下であるほどやり易い)な事も
天秤にかけたら、さほど変わらないことになっているだろう。
人の「手の中」が、犬にとって最大、最良の逃避先、ってことかな。
マイナスパワーにもなる「野生行動(問題行動)」をプラスパワーに変える、
どちらの面に光をあてるかなのではないか、というのは
人がキーワードになっているってことなのだな。
以上がここ数日わたしがモンモンと考えていたこと。
記事にしたらこんなに長くなってしもうた。
どうりでなかなか筆が進まぬはずデス。
ってゆーか、今さら気づいたのか!?って思わないでね f ^ ^ ;
こういうこと、考えては悩み、納得し、を繰り返してるの、わたし。
(hu)
それを生かして作業をさせることがはたして良い事なのか、悪い事なのか?
前文にこう書いた事をぴーなつさんに聞いてみました。
すると彼女は的確にアドバイスしてくれた。
そもそも性質、性能を「良い事、悪い事」と振り分けるのは
不自然ではないかと。
プラスパワーはマイナスパワーと対になっている。
だからどちらの面に光を当てることができるかを考えた方がよいのでは?
そうなのだ、前からこういう話、よくしてたのに
ぴーなつさんに言われるまで思い出せなかった。
そもそもなぜこういう事を書いたかというと
犬は犬種によって色々な作業目的にそってブリードされ
その作業をこなすのにふさわしい性質の部分を伸ばされ(残され?)、
今日にある。
うちのマルコはワイヤーフォックステリア。
名前の通りキツネの狩につかわれた猟犬。
だから走り去る猫でも見つけようものなら「追いかけたい!」という
衝動に駆られやすいところが強いと思うし、
若かりし頃のマルコは怖いもの知らず、
というか不安や緊張が高ければ高いほど
興奮し、飼い主から離れていく傾向が強かった。
最近、我が家にやってきたベルジアンシェパード・タービュレンのイオタは
不安、緊張が高ければ高いほど口を使いたがる。
知らない環境に連れていくとズボンをつまもうとつんつんしてくるし、
500mlのぺっとボトルが落ちていようものなら、これ幸いとくわえ込み
ずーっと奥歯でしっかり保持しながら歩く。
そうしているととてもよい子だったりする。
マルコの場合は不安や緊張が高まると
飼い主から遠くはなれることが気にならなくなり、
イオタの場合は不安や緊張が高まれば高まるほど
口で噛みしめたい気持ちが強くなり、
ターゲットが与えられると奥歯でしっかりくわえ込む。
不安を感じる物や状況にでくわすと、グーッと狙い、
突っ込んでいこうとする。
これは
「その作業をこなすのにふさわしい性質の部分を伸ばされ」
にあたるのではなかろうか?
フォックステリアは猟犬で、オーナーから遠く離れられなければ仕事にならない。
不安であっても遠くに離れ、逃げる獲物を追い、捕らえ、仕留める。
シェパードは羊を狼から守るなどの働きをするために作られた犬。
不安であってもオーナーから離れ、外敵をしとめなければならないし
不安を感じる物に、物怖じせず襲い掛からなくてはならない。
で、この「不安であっても」ってところが今回わたしが着目した点になる。
「不安であっても」ではなく「不安であるから」なのではないかと。
性質とは「不安」や「緊張」下にあるときに
その固体がとる行動、思考のことなのではないか。
緊張が高くなったとき、冷静でないときに出やすい癖=性質
この癖を利用し、作業につかう。
緊張が高いほどよいパフォーマンスをする。
そうでなければ仕事にならない。
不安や緊張が高まると、地面のニオイばかり嗅ぎだす犬。
物をくわえたまま、なかなか離さない犬。
動くものとなるととにかく追いかけ、回り込もうとする犬、
あるいはその物事態をパチパチ口でつまみにいく犬。
屋外に出るとわき目も降らずーっと前のめりで
地面の匂いばかり嗅ぎながら歩く犬。
散歩中、道に落ちているものを片っ端から口に入れる犬。
いわゆる犬の問題行動としてとりあげられる行動。
でもこれは作業をさせるのであれば都合がことでもある。
そしてこれはその固体が素の状態(野生=人との関係が希薄)に近いほど
こういう行動をとりやすいはず。
わたしが今仕事としてやっていることはというと
まずはいつも冷静でいられる状態にすること。
不安でなく、緊張せず、興奮もせず、状況を冷静に、
客観的にとらえることができるようになること。
心のより所があれば、不安な状況になっても、頼り、集中し、冷静でいられる。
より所とはすなわち「飼い主」。
飼い主が頼るべき、集中すべき相手になり、
コミュニケーションがうまくとれるようになれば
犬の不安はなくなり、野生は消えていく。
問題行動は無くなっていく、と思っている。
でもこれはあくまでベース(基本)にすぎない。
わたしは人の指示によって性質を生かすことはアリなんじゃないかと感じていた。
不安・緊張・興奮⇔冷静
と書くとなんだかネガティブな様に見えるが
ポジティブに考えればこれらは長所になる。
いざって時にこれだけは自信持って出来ること、なのだから。
自信をつける、という部分では欠かせないことになっていくように思うんだ。
それでそれで、、、
はなしをぐぐぐーっと元にもどして
感じていたんだけれど、、、ここへきて、本当にアリなんだろうか??
と思う事がいろいろあって、それで自問自答してみたのであります。
(「いろいろ」についてはまた後日べつの記事で書きたいと思っている。)
で、ぴーなつさんの助言を聞いて、
わたしの至った結論。
人によって与えられた指示を聞いてとった行動なら
それが例えその犬が逃げ込みやすい傾向の行動だったとしても
アリなんじゃないか。
一人よがりに、その世界に没頭するのではなく
人によって導かれて、たまたま自分がとりやすい行動だっただけ、
という風になるなら、ありなんじゃないかな。
犬の頭の最優先事項に飼い主が君臨していて
そのひとの言う事ならなんだってする!という状態、
こうなることがすべてなのではないかな。
こうなっていれば、その犬にとって苦手(緊張下ではやり難い)な事も、
得意(緊張下であるほどやり易い)な事も
天秤にかけたら、さほど変わらないことになっているだろう。
人の「手の中」が、犬にとって最大、最良の逃避先、ってことかな。
マイナスパワーにもなる「野生行動(問題行動)」をプラスパワーに変える、
どちらの面に光をあてるかなのではないか、というのは
人がキーワードになっているってことなのだな。
以上がここ数日わたしがモンモンと考えていたこと。
記事にしたらこんなに長くなってしもうた。
どうりでなかなか筆が進まぬはずデス。
ってゆーか、今さら気づいたのか!?って思わないでね f ^ ^ ;
こういうこと、考えては悩み、納得し、を繰り返してるの、わたし。
(hu)
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